今日は、朝から地域の中高年クラブの皆さんが開いてくれた『戦争と地震について』の講和会へ出席。
おにぃちゃんとも行きたかったのですが、こちらは本日別の地域行事と重なってしまい欠席。
私と、娘二人で参加。
普段、あまりこのような機会がなかったのでどんなものなのかと思いながら出席。何人かのクラブの皆さんが『自分の経験した戦争と地震についての体験談』をお話してくれました。
印象に残ったお話を一部だけ。。。。
【昔、自分がまだ18歳の頃に戦闘機を作る工場に居た頃の話。仕事の合間に少し休憩しているところへ陸軍のパイロット候補生が話しかけてきた。「操縦の仕方は分かるが、構造は分からない。教えてほしい。」と。それがきっかけで仲良くなり、しかも彼も18歳で同い年と言うこと。
それから、会うごと話し合い親交が深まった。
そんな彼に、しばらく会わない日々が続き、ある日の朝食堂で「今日、特攻隊として出陣する者があるからみんなで見送るように」という上司の命令があった。
朝10時、飛行場で整列して向かえた特攻隊のメンバーは全部で5名。3号機にあの青年も居た。
彼の姿を見て、誰よりも彼を近くで見送りたいと思った自分は隙を見て抜け出し、滑走路を走り戦闘機の近くまで行こうと決意。走り出す。
そこへ、別ルートからトラックに乗って戦闘機に向かっていたパイロットのトラックがおもむろに方向を変えて自分に向かってくる。彼の乗ったトラックだった。
トラックから自分に話しかける彼。彼に話しかける自分。
「国のために行ってきます。後は、頼んだ。」
すでに敗戦の色は明白で、特攻隊が帰ってくることはなかった。それでも、さびしいとかかなしいなどということは口には出せなかった。
自分は
「成功を祈る!!」
と言うのが精一杯。
戦闘機に乗り、飛び立っていく若者たち。3号機に乗った彼だけは窓を開け自分の方にハンカチを振りながら滑走していく。
その時にふと、彼の名前も出身地も聞いていないことに気づく。
それは、自分も飛行場の製造所なんてすぐに敵の標的になるということが分かっていて、もうきっと自分も死ぬのだなと言う思いから。そして彼もまた特攻隊としての運命を知っていて名前も出身地もそれが意味のないものだと悟っていたから。
そのあとも、工場は敵の攻撃を受け亡くなった人も沢山いた。
でも自分は、生き残った。つらいこともあったけれど、楽しいことも沢山あった。彼らはできなかった。
だから、戦争はやってはいけない。やってはいけない。】
拙い、私の文章ですが実際聞くともっと心に染みます。子供を持って、さらに思うこと。若い命が意味の無いなくなり方をする。もうそれだけで十分戦争をする意味がないことが伝わりました。
11時2分には長崎への黙祷をそこに居たメンバーで捧げました。
娘たちにはちょっと難しかったけど、意味ある日にはなったかと思います。
戦争があった。経験した人がいた。そして、もう絶対に戦争はやってはいけないという。その思いは、これからも伝えていかなければいけないと思いました。
おにぃちゃんとも行きたかったのですが、こちらは本日別の地域行事と重なってしまい欠席。
私と、娘二人で参加。
普段、あまりこのような機会がなかったのでどんなものなのかと思いながら出席。何人かのクラブの皆さんが『自分の経験した戦争と地震についての体験談』をお話してくれました。
印象に残ったお話を一部だけ。。。。
【昔、自分がまだ18歳の頃に戦闘機を作る工場に居た頃の話。仕事の合間に少し休憩しているところへ陸軍のパイロット候補生が話しかけてきた。「操縦の仕方は分かるが、構造は分からない。教えてほしい。」と。それがきっかけで仲良くなり、しかも彼も18歳で同い年と言うこと。
それから、会うごと話し合い親交が深まった。
そんな彼に、しばらく会わない日々が続き、ある日の朝食堂で「今日、特攻隊として出陣する者があるからみんなで見送るように」という上司の命令があった。
朝10時、飛行場で整列して向かえた特攻隊のメンバーは全部で5名。3号機にあの青年も居た。
彼の姿を見て、誰よりも彼を近くで見送りたいと思った自分は隙を見て抜け出し、滑走路を走り戦闘機の近くまで行こうと決意。走り出す。
そこへ、別ルートからトラックに乗って戦闘機に向かっていたパイロットのトラックがおもむろに方向を変えて自分に向かってくる。彼の乗ったトラックだった。
トラックから自分に話しかける彼。彼に話しかける自分。
「国のために行ってきます。後は、頼んだ。」
すでに敗戦の色は明白で、特攻隊が帰ってくることはなかった。それでも、さびしいとかかなしいなどということは口には出せなかった。
自分は
「成功を祈る!!」
と言うのが精一杯。
戦闘機に乗り、飛び立っていく若者たち。3号機に乗った彼だけは窓を開け自分の方にハンカチを振りながら滑走していく。
その時にふと、彼の名前も出身地も聞いていないことに気づく。
それは、自分も飛行場の製造所なんてすぐに敵の標的になるということが分かっていて、もうきっと自分も死ぬのだなと言う思いから。そして彼もまた特攻隊としての運命を知っていて名前も出身地もそれが意味のないものだと悟っていたから。
そのあとも、工場は敵の攻撃を受け亡くなった人も沢山いた。
でも自分は、生き残った。つらいこともあったけれど、楽しいことも沢山あった。彼らはできなかった。
だから、戦争はやってはいけない。やってはいけない。】
拙い、私の文章ですが実際聞くともっと心に染みます。子供を持って、さらに思うこと。若い命が意味の無いなくなり方をする。もうそれだけで十分戦争をする意味がないことが伝わりました。
11時2分には長崎への黙祷をそこに居たメンバーで捧げました。
娘たちにはちょっと難しかったけど、意味ある日にはなったかと思います。
戦争があった。経験した人がいた。そして、もう絶対に戦争はやってはいけないという。その思いは、これからも伝えていかなければいけないと思いました。